電子錠─問題編─


 あれは昭和ニ十四年の、冬の事でございます。

 私はその冬、北陸の温泉宿にしばらく滞在しておりました。
 さて、ある朝私が、ロビイのソファでのんびんくらりと新聞を読んでおりますと、後ろから「やあ中西君」と、聴き覚えのある声がいたします。後ろを振り向きますと、大学時代の旧友、斉藤文次郎君がにこやかな表情で立っておりました。
 私は心の中で顔をしかめました。と云いますのも、この斉藤君、大学時代から実に嫌味な奴なのです。
「いやいや、久しぶりじゃあないか。いったい君は今何をしているんだい?」
「なあに、旅から旅への風来坊さ」
 斉藤君は私の前のソファにどっかりと腰をおろしました。
「ほう、すると行商人かい」
「まあそんなところかな。宝石や絵画は富豪が高く買ってくれるんだぜ」私はそう答えました。
 私たちはしばらく談笑しておりました。斉藤君は昔のままで、やはり嫌味な奴でございます。時折蹴飛ばしたくなる事があるくらいです。私はどうにもこの斉藤君が好きになることが出来ないのです。
 話を聴いている内に、斉藤君の旅行の目的が、骨休めを兼ねてこの辺りの知人に会いに来たのだそうで、今日の五時に会う約束だと聴きました。この斉藤君、どう云う訳か友人がたいそう多いのです。私にはそれが不思議でなりません。
 其の内に斉藤君は、散歩に行こうと云い出しました。私は乗り気ではなかったのですが、ついに断りきれないで、午後から散歩に出る約束をさせられました。

 一度斉藤君と別れた私は、部屋に戻ると何冊か本を読んで過ごしました。私は読むのがたいそう速いものでございますから、午前の間に二冊の本を読了いたしました。
 昼食を早めに運んでもらって、約束の時間より少し前に玄関に行きますと、気の早いことに斉藤君は、既に待っておりました。
「やあ待ったかい?」
「いいや、さあ行こう」
 斉藤君はそう云いますと、先に立って外に出ていきました。

 冬の北陸のことでございますから、外は一面雪景色です。試しに手ですくってみますと、上質の小麦粉の様なさらさらとした粉雪が、指の間をすりぬけて行きました。
 何も無い道を私と斉藤君が「キュッキュッ」と雪を踏みながら歩いて行きます。太陽の光を雪が反射して、何とも幻想的な雰囲気でした。
 ふと、斉藤君が歩みを止めました。何かに目を捕われている様です。「何だろう」と、私も其処に目をやりますと、なかなか立派な別荘が目に入りました。大き目のログハウスの様な其れは、どうやら貸し別荘のようでございます。
「立派なもんだね」そう斉藤君がぽつねんと呟きました。
「どこぞの富豪が借りるんだろうな。まあ僕らには高嶺の花だよ斉藤君」私はそう云うと、また歩みを進めようといたしました。
 すると、前から一台の高級そうな純白の車がこちらにゆっくりと向かってくるのが見えました。私は思わず足止めて、その車をちょっとの間眺めておりました。
 車は私たちの横までくるとゆったりと止まり、運転席の窓がしずしずと開きます。たじろいだ私たちに、「やあこんにちは」と、運転席の男性は実に心地の良い挨拶をかけてきました。年は五十過ぎと云ったところでございましょうか。浅黒く、皺の少ない若々しい肌には人懐っこい笑みを浮かべています。恰幅は別段悪いと云うわけではないのですが、あまり無駄な脂は付いていない様に見えました。隣には、灰色の和服を着込んだ髪の長いたいそう美しい女性が座っております。どうやら男性の細君の様です。
「この別荘の方ですか?」私がそう問いますと、男性は「ええそうなんですよ。京都の不動産屋から、一昨日借り受けて今初めて来たんですがね、なあに大した金額ではありませんでしたよ。よろしければ上がって行きませんか? 袖振り合うのも何かの縁と云いますし」そう云ってにっこりといたしました。

 斉藤君からは別に異論は出ませんでしたから──五時にはまだ時間がございました──私たちはお邪魔させていただく運びになりました。
 男性は南田と名乗りました。南田氏は荷物を寝室に置くと、私たちを食堂に通してくださいました。
 ログハウスなのですから、内装は当然西洋風です。食堂には大きなテーブルがありまして、カウンタアを挟んだ処に小奇麗な台所がございます。さしずめ“ダイニングキッチン”とでも申しましょうか。ソファ等の応接セットもあって、私たちは真っ直ぐそこへ座りました。
 富豪の家を訪ねるのは、私は仕事柄何度もあって、別段緊張もいたしませんでしたが、斉藤君の方はと云うと、やたらと周りを見渡していて、落ち着きがありませんでした。
 細君の運んでくださった珈琲は、たいそう美味しゅうございます。南田氏はたいそう人懐っこい性格の様で──初対面の私たちを招きいれたのもこの性格からでございましょう──たいそう話も面白く、私たちは楽しい一時を過ごしました。そしてやがて、話題が各々の仕事の話になって行きました。
「南田さん、この中西君はですねぇ、旅から旅への行商人なんですよ」
「ほう」南田氏は興味を持った様子で、「何を売り歩いているのです?」と私に尋ねましたので、私は話を合わせました。
「そうですねえ、絵画や宝石が中心でしょうか」そう私が答えますと、「そいつは奇遇ですなあ、私の商売は宝石商でしてね」と云いました。今度は私が興味を持つ番でございました。
「商売品は店の金庫に仕舞ってあるのですがね、個人的なものは幾つか持ってきているんですよ。ごらんになりますか?」私が是非と云いますと、南田氏は一度寝室へ行って小さいが、立派な箱を持って戻ってきました。
 箱の蓋をゆっくりと開けていきます。私と斉藤君はそれを食い入る様に見つめます。
 蓋が完全に開きますと、世にも美しい石が目に飛び込んできました。私はあれほどすばらしい物を見たことがありません。あの時の感動と云ったら! 言葉にしようがありません。
「キャッツアイですね」私は思わず溜息をつきました。
「そうです。これは私の自慢でしてね。家内の次に大事なものですよ」そう云うと南田氏は笑みを浮かべました。
 宝石には無知の斉藤君も、これにはうっとりと見惚れている様でございました。
「保険なんかはかけていらっしゃるのですか?」私がそう訊きますと、南田氏は、
「いやあ、この宝石の価値と比べれば、保険金なんて雀の涙みたいなものですから、毎月の保険料が馬鹿らしくてかけていないんですよ。その分普段は自宅の金庫に金を使って厳重に保管しているんです」

 時計が鳴ったのはその時でした。壁がけの鳩時計が鳴ったのです。文字盤を見ると、時間は午後五時でした。
「あ、いけないいけない。僕はお暇します。人に会う約束があるもので」そう斉藤君が云いますと、南田氏は実に残念そうな顔をいたしました。玄関先まで南田氏や彼の細君が見送ろうとするのを、斉藤君が遠慮して押し留め、ここに座ってから一度も立っていなかったからか、一つ伸びをしてから、真っ直ぐ食堂を出て行きました。
 私は時間はありますから、もう少しお邪魔することにしました。
 細君の淹れてくれた珈琲のお代わりを飲みながら、またしばらく談笑を楽しみました。結局、私が暇を告げたのは午後六時を過ぎてからでございました。
「もう少しゆっくりされたらよろしのに」細君が云いました。
「いえ、これ以上お邪魔する訳には……」そう私が云いますと、南田氏は、
「また明日にでもいらしてください」と、例の人懐っこい笑顔で云いました。
 では、と扉を開けようとして、はたと手を止めました。
「どうされました?」そう南田氏は尋ねます。
「これは珍しい。“電子錠”ですね」
「電子……錠?」
「ええ、最近開発された技術でしてね。扉が閉まると、電気仕掛けで自動的に鍵がかかって内側からは開くのですが、外からは開かないのですよ。つまり戸締まりをしわすれる事が無いと云う訳です。海外では“オートロック”と云うそうですよ」
「ほう、そいつは便利ですなあ。不動産屋は云ってませんでしたがそんなに便利な物が付いていたとは」南田氏はいたく関心した様でした。
「では僕は失礼します。物騒ですから、くれぐれも窓の戸締まりを忘れませんように」私はそう云って笑うと、宿への帰りにつきました。

 翌日、私はあの別荘の近くを歩いておりました。すると、何やら警察車両が道を走っているのが見えました。別荘の方に向かった様です。
 別荘に行ってみますと、先ほどの警察車両が駐車していて、戸口のところで扉を開けたまま、南田氏と細君、そして制服を着た警官が何やら話ておりました。
「ああ中西さん!」南田氏が私に気付いた様です。
「どうなされたのですか?」私はそう云いながら、彼らのところに歩み寄りました。
「宝石が! 宝石が! あのキャッツアイが盗まれたのです!!」

「なんですって!」
「今朝目が覚めたら備え付けの金庫が破られいたんです。そして一番高いあのキャッツアイが! 誰かが盗んで行ったのです。ああ私の宝が……妻の次に大切なあの宝石が……」
「戸締まりはしていなかったのですか?」私がそう尋ねます
「ちゃんとしていました」細君が心外だと云う風に云いました。
「すると、窓を割られたわけですな?」警官がそう尋ねます。
「いいえ、主人と二人で調べましたが、窓にはどれも異状はありませんでした。扉はこの正面の扉だけなのですが、それもこじ開けられた形跡はありませんでした。先ほども中西さんにも云いましたが、窓の戸締りはちゃあんと確認いたしましたし、扉は確認するまでもありません」
「何故です?」
 私は昨夜と同じ事を警官に話しました。
「ほお、そんな物が……」いたく感心した様です。
「扉を閉め忘れたと云う事は勿論無い訳ですよね?」私が尋ねますと、細君が「勿論です」と答えました。

「不思議だ! 実に不思議だ! だってそうでしょう? 扉にも鍵がしっかりかかっているのに、犯人はそれらをこじ開けもしないで宝石を盗み出してしまうなんて! いや待てよ……」警官はぶつぶつそう呟くと、「失礼ですがご主人、あの宝石には保険はかけてありますか?」と尋ねました。
「いいえ、かけていません。なんなら調べてみてください。……貴方はこれが狂言だと、そうおっしゃりたいわけですか?」
「しかしですね、この別荘がいわゆる“密室”であった以上そういう可能性も考えねばなりませんので……」
「狂言ならば、窓の鍵を開けておくでしょう? それに、なあに犯人なら分かりきっていますよ」私はそう口を挟みました。
 私の言葉に驚いたのか、三人が一斉に私を見ました。
 私は腰を屈めると、扉の枠の金具──金属の棒が嵌って鍵がかかるあの受け止め金具です──をしばらく見つめると、それに指を押し当ててぱくりと口に銜えました。
 皆があっけにとられる中、私はこう云いました。
「やはり、金具が辛い」


 “窃盗犯は誰か?”
 尚、地の文及び窃盗犯以外の人物の供述には、一切の虚偽が含まれていないことは作者が保障する。

 ここまでの全ての文章で、全ての手がかりは示された。答えは目の前にあることをお忘れなく。


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